オーストラリア留学体験 6 タスマニアでフルーツピッキング

飛行機でタスマニアのHobartという街に到着しました。ホステルの張り紙を見てフルーツピッキングができる場所に移動しました。地名は忘れました。

タスマニアでのフルーツピッキングは素晴らしい体験となりました。苺やベリーを採りました。現地や他国から旅行者達と一緒に働き生活することで学べることは学校での勉強とは比べものになりませんでした。星がとても綺麗で天の川を肉眼で見たのは始めてでした。

とても綺麗な海岸に牡蠣がたくさんいる場所がありましたのでみんなで醤油を持って行って生で食べました。海岸に沿ってしばらく散歩していると死んだ牡蠣の殻が増えてきて、下水道が現れたので、環境破壊を体感しました。タスマニア半周旅行をしましたが、ペンギンがたくさんいる海岸がありました。

その後Geevestonという街に移動しました。田舎街の生活を体験することができてとても良い経験となりました。農場まで移動手段がなかったのですが親切な近所の陽気なおじさんがいつも車で連れて行ってくれました。彼はいつもビールを飲みながら運転していました。よく一緒にバーでKinoというギャンブルをしました。家族のバーベキューに招待してもらいました。

その後Mildulaという街に移動しましたが、とにかく暑くて夜でも40度ありました。命の危険を感じました。ホステルによって収入が全く違うようで、フルーツピッキング全般に言えることですが当たり外れが激しいです。場所によっては給料が支払われなかったりするようです。

結局計二ヶ月程フルーツピッキングをして、Adelaideという街に移動しました。Adelaideはワインと芸術の街と言われていて、小さな素敵な街でした。アデレードでも教会のスクールに通っていたのですが、そこで受けた授業は非常に質が高かったです。

二ヶ月Adelaideで過ごした後、古巣ブリスベンに帰り二ヶ月過ごし、ワーキングホリデーの期間365日を使いきって帰国しました。

帰国直前にTOEICを受けてみたところ、650点でした。ワーホリを始めて語学学校に入った時は420程度でした。留学中は会話力中心の勉強で、TOEICの勉強をしたわけではないのでまあこんなものかなと思いました。帰国後過去問や文法の勉強をしながらを何度か受けて、900点取りました。留学中に図書館に通いつめてもあまり意味がないような気がするのでこれで良かったと思います。

さて一年間のオーストラリアワーキングホリデーですが、行って良かったと思います。一生のうちで一番楽しい一年だったと思います。もちろん海外なので楽しいことばかりではなく大変なこともありますのでそこは覚悟が必要です。資金はあるにこしたことはないですが、手持ち20万で来てすぐにバイトを始めた強者もいました。いろんな人に会えます。今はオンラインレッスンが充実しているので、英語力だけで考えると留学する必要はないかもしれませんが、海外留学でしか体験できないことがたくさんあると思います。

オーストラリア留学体験 5 シェアハウス

ホームステイをやめてシェアハウスを見つけました。2人のオーストラリア人がハウスメイトでした。サーカス団のやんちゃなお兄さんが広告主でしたが彼が家主から借りている家のようで、契約書もなにもありませんでした。

住み始めて気がついたのですが小さなゴキブリがわんさか出ました。ハウスメイトの一人がある日あいつらを燃やそうぜと言いだして、ライターと整髪料かなんかのスプレーを使って燃やしていました。火事になったらどうしようかとひやひやしました。

カジノで負けがこんできたので、タスマニアにフルーツピッキングに行く事にしました。

サーカスのお兄さんが退去する際に12ヶ月は最低住まなければいけないとか言いだして、結局400ドル程の敷金を返してくれませんでした。

オーストラリア留学体験 4 スカイダイビング

語学学校は真ん中のIntermediateのクラスでした。一ヶ月しか行きませんでしたが楽しかったです。いろんな授業があり自分で選択できるものもありました。最後に皆勤賞みたいなものをもらいました。二ヶ月にしてもよかったなと思いました。

ホストマザーがランチパックをもたせてくれるのですが、よくニンジンが一本生のまま入っていて、食べ物は粗末にしたくないので無理やりかじって食べていたらクラスメイトに笑われました。一本全部食べるのは無理でした。

ブリスベンでは図書館やいくつかの教会でキリスト教の方々が無料で英語を教えてくれます。そこでたくさん勉強させてもらい、バーベキュー等のいろいろなイベントに参加させてもらい、たくさんの人に出会えました。オーストラリアのキリスト教の方々には本当に感謝です。

バイトで知り合った人とスカイダイビングに行きました。インストラクターとタンデムで飛ぶか、少し低い所から一人で飛ぶか選べるのですが、一人で飛ぶ方を選びました。その場合簡単な訓練を受けるのですが、excellent!, marverous!, brilliant! とありとあらゆる単語で褒められ続けました。一生のうちであんなに褒められることはもうないでしょう。スカイダイビングよりむしろそのほうが良い経験となりました。

学校の友人とゴールドコーストやニュージーランドに旅行に行きました。ゴールドコースとでサーフィンをしましたが、思ったより波が強く戻れないんじゃないかなと思った程です。ニュージーランドで車を運転していた際、地平線まで道がただひたすらまっすぐだったり、湖がありえないぐらい青かったのを覚えています。

オーストラリア留学体験 3 ブリスベンでバイトとバンド

学校までまだ一ヶ月あったのでアルバイトを始めました。日本食の店でHANAYAとかいうカレー屋だったと思います。かなり回転がはげしくてなかなかこき使われました。鍋の焦げをとるのが大変でした。ある日店長に動きが遅いと言われて1日見張られることになりました。その日は早く動くようにしたら今日はまあまあだったと言われました。店長以外の働いている人たちはみんないい人ばかりで食事にいったり友人もできたのでそこでバイトしてよかったと思います。

メンバー募集を見つけて電話をかけて、バンドを始めました。私はエレキベースを日本から持ってきていました。フェンダーのジャズベです。スリーピースのオリジナルのロックのバンドに入りました。他の二人はどちらも背が高く、ドラムの人はやさしそうな印象でしたがボーカルの方は長髪とヒゲで人を殺したことがありそうな風貌でした。スタジオは機材持ち込み型だったので持ち運べるサイズのベースアンプを購入しました。それでもスタジオまで電車で持っていくのが毎回大変でした。

初めてセッションした時、ボーカルがネイティブの英語でダミ声で歌い始めたのを聞いて、感動しました。というのも日本にいた時に英語のコピーバンドをよくやっていたからです。ただ何曲か合わせると二人ともあんまりうまくないなと分かりました。練習のたびにお酒やら変な薬やらを持ってくるので音楽に対する姿勢はどうかなと思いましたがとてもいい人達でした。

学校が始まる前に英語の勉強に集中するためバイトはやめました。その頃カジノでブラックジャックをよくやってたのですが学校が始まる時点で700ドルぐらい勝ってました。調べるとブラックジャックは絵札を数えておけば統計的に勝てるゲームだと分かりました。ただカジノ側にカードを数えていることがバレるとまずいようです。

オーストラリア留学体験 2 ブリスベン到着

出発前日、地元で同窓会があり酔いつぶれてしまいました。飛行機内で体調が悪かったですが、機内食をよく噛んで食べ、集中して寝たら治りました。ブリスベン空港で、ホームステイ先のドイツ系オーストラリア人のお母さんが迎えに来てくれていました。車の中で英語で話して、ネイティブスピーカーとまともに話すのは初めてでしたが、思ったより会話が成立するなと思いました。

犬と、高校生と小学生の娘さんがいました。お父さんは亡くなったそうです。ピアノがある家でした。最近引っ越したばかりらしく、床がやけに埃だらけでした。私の部屋は狭いと聞いてましたが、日本人からすると十分な広さでした。使っていないギターがあったので貸してもらいました。小学生の娘さんは素直な明るい子で、体操や乗馬などいろいろ習い事をしていました。その子は昔バイオリンを習っていたようで、ある日ピアノで伴奏をしてあげたら喜んでいました。

高校生の娘さんはなかなかの不良で、ある日20ドル貸してくれと言われて100ドル札しかなかったので貸してあげたら結局返してくれませんでした。お母さんに相談したら、貸しちゃダメよーとにこやかに言ってました。

翌日役所と学校の手続きを済ませたらお母さんにvery organizedだと言われてうれしかったです。クイーンストリートのマイヤーというデパートでドライヤーを買いました。後で学校に通う際にちょうどいいサイズのカバンがなかったのでずっとその時のマイヤーの袋を使っていました。

一ヶ月遅れてもう一人日本人がホームステイしに来ました。彼はそのころ英語や司法試験の勉強をよくしていましたが、日本に帰った後オナホールの会社の重役になり大活躍しています。帰国後に会った際、考えた結果自分がやりたい事はエロだと気づいたと言っていました。

オーストラリア留学体験 1 オーストラリア語学留学の準備

私はこれまでに2度留学しました。1度目はオーストラリアに1年間の語学留学、2004年に行きました。2度目はオーストリアのウィーンに2年半の音楽留学、2015年に行きました。このカテゴリではそれぞれの体験や感じたことを思い出しながら書こうと思います。

まずはオーストラリアの準備編から。資金として、ケーブルテレビの営業の仕事を2年程して300万円程貯めました。ワーキングホリデーというビザで行ったのですが、申請は驚くほど簡単でした。インターネットで申し込んで1週間程度でビザが発行されました。手続き代行業者は利用しませんでした。語学学校はブリスベンのPGICという学校を一ヶ月だけ申し込みました。この学校は今でもあるようですね。なぜその学校にしたかというと学校内で母国語禁止という厳しいルールがあったからです。ブリスベンを選んだ理由は、そのころよくサーフィンをしていたので、ゴールドコーストでサーフィンしたいけど目的は語学だしゴールドコーストは日本人が多いと聞いたので遊んでしまわないように少し離れた街にしました。ブリスベンからゴールドコーストまでは1時間ぐらいです。

学校の手続きと同時に学校から紹介してくれるホームステイを3ヶ月分申し込みました。ピアノがある家庭になりました。語学の準備ですが、受験勉強で基本はやったので、会話の準備が必要だと思い、「ベラベラブック」という本を丸覚えしました。今Amazonで検索してみたところ、とんでもなく安く売られていて驚きました。この本で一通り会話用の例文を覚えてあとは単語を入れ替えるだけでかなりのシチュエーションで役に立ちました。国際免許も取得して行きました。